三途の川と賽の河原は実在した?今も日本に残る「あの世」とつながる場所を紹介する
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日本に古くから伝わる伝承・三途の川と賽の河原。
あの世とこの世の境目にあると言われる伝説の河だがが、その三途の川に由来する場所が現代の日本に存在しているのだ。
今回は、そんな三途の川と賽の河原の伝説が残る土地を紹介していく。
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三途の川とは?あの世とこの世の境目
ご存知の通り、三途の川は現世と死後の世界をつなぐ河のことだ。
よく臨死体験などをした人が三途の川に似た体験をすることが多いが、科学的には解明はされていない。
この臨死体験については、別の記事でも触れているので、こちらも参考に読んでもらいたい。
関連記事:死後の世界は実在するのか?科学が見つけた意識が生き続ける可能性とは
日本では仏教の世界で古くから語り継がれる伝承あるが、元々は飛鳥時代に中国から渡ったものが平安時代末期に民間にも広まったといわれている。
平安時代と言えば、陰陽師やまやかし、その類の伝承が広まった不思議な時代としても知られている。
また、日本のみならず、ギリシャ神話など世界各地の伝承にも似ようなものが存在するのだ。
賽の河原とは?
よく三途の川とセットで語られる話が、賽の河原に関する伝説だ。
ここでは親より先に亡くなってしまった子供が、親不孝者として苦行を受ける場所といわれている。
その苦行とは物凄くシンプルなもので、河原で石を積み上げていく作業をひたすら繰り返す。これが親への供養になるのだとか。
しかし、途中で賽の河原に潜む鬼がやってきて、積み上げた石を崩しにくるそうだ。
永遠に達成できないように見えるが、これを繰り返して行くうちに子供達はお地蔵様によって救われるといわれている。
正式には地蔵菩薩(じぞうぼさつ)という存在で、お寺などでよく見る、お地蔵様のことだ。
日本に点在する三途の川
ここからは、三途の川とゆかりのあるスポットを紹介していく。
その所在地は、下記の通りだ。
- 群馬県 利根川(とねがわ)
- 千葉県 一宮川(いちのみやがわ)
- 宮城県 阿武隈川(あぶくまがわ)
- 青森県 正津川(しょうづがわ)
部分的ではあるが、いずれも別名・「三途川」と呼ばれており、三途の川の伝説から紐づけられている可能性があるのだ。
特に最後にご紹介した青森県・正津川については本当に三途の川なのでは?と疑いたくなるような関連性がみられるため、少しだけ掘り下げてみたいと思う。
恐山を通る正津川
青森のパワースポットとして知られる霊場・恐山を通る正津川。
時折、ここで心霊体験をした人の話も耳にするが、ここを流れる正津川は先ほども紹介した通り「三途川」とも呼ばれている。
また、ここは青森の下北地方と呼ばれる場所に位置しており、そこの伝承によると、亡くなった人の魂はこの恐山に行くのだとか。
恐れ山は日本でも有数のスピリチュアルなスポットでもあるのですが、実際にここは死者を供養のする場としても知られている。
そしてその歴史や、そこに伝わる行事などをひも解いてみると、「三途の川」との奇妙な関係性が見えてくるのだ。
恐山・正津川とあの世のつながり
まず、この恐山が開山したのは江戸時代末期らしく、三途の川がの伝承が民間に広まった時代とほぼ同じだ。
さらに、ここの本尊はお地蔵こと地蔵菩薩が祀られている。これは冒頭でもお伝えした通り、賽の河原で苦しむ子供を助けるお地蔵様のことだ。
また、恐山境内の西側には「賽の河原」と呼ばれる場所が実在し、そこには今でも実際に積み石が置かれているのだとか。
他にもここでは「イタコの口寄せ」と呼ばれる年に数回の行事が行われる。これは死者の霊を呼び出し、イタコと呼ばれる巫女に憑依させ、話すことが出来るといわれている。
信憑性は確かではないが、このイベントが開催される8月には、恐山に多くの人々が集まることで有名だ。
このように、恐山と正津川には、あの世を紐付ける行事や三途の川を彷彿させるスポットが数多く見受けられるのだ。
島根県にある「加賀の潜戸」
恐山とは別に一般的には知られていない「賽の河原」が日本の島根県にも存在している。
それが、この死者の国の入り口とも呼ばれているこの加賀の潜戸(かがのくげど)だ。
ここには主に新潜戸・旧潜戸と呼ばれる箇所で分かれており、新潜戸の方は長さ200メートル超の美しい洞窟として知られている。
しかし、もう一方の旧潜戸と呼ばれる場所は、別名「賽の河原」と呼ばれており、そこには無数の積み石やお地蔵様、人形、さらにお供え物などが添えられている。
ちなみに、ここにはゲゲゲの鬼太郎の作者「水木しげる」も幼少期にこの場所を訪れたらしく、著書の中で「あの世とつながる場所として息をのんだ」と語られている。
加賀の潜戸に伝わる賽のかわら伝説
この加賀の潜戸には少し奇妙な伝説も存在している。
太古の昔、海人族(あまぞく)の女神たちが此処で子供達を産み育てた場所たそうだ。
幼くして生命絶えた我が子を埋め、小さい石の塔を積んだことが始まりといわれており、現在は、全国の亡き幼児の魂の集まる場所とも伝えられている。
この話に登場する海人族(あまぞく、別名かいじんそく)とは、縄文時代から弥生時代以降にかけて海上を主な活動の場所としていた集団だ。
その中で登場する女神とは単純に神や人間を指しているのではなく、子を産み育てるという意味で「女性」全般を表しているのではないだろうか。
もしも、この伝承が本当だとしたら、今日まで語り継がれてきた三途の川や賽の河原の伝説は、遥か昔からここで、そのベースが出来ていたのかもしれない。
三途の川・賽の河原まとめ
ここで紹介した三途の川と賽の河原に関する伝説は、日本に点在する事例のほんの一部だ。
もしかすると、これを読んでいる読者の地元にも三途の川に由来するスポットがひっそりと存在しているのかもしれない。
また新たな発見があれば、またこちらで共有していきたいと思う。
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