【怪異】江戸時代に現れた予言中「件」が残したメッセージ
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古くから日本には怪異談やその類の伝承が数多く存在するが、江戸時代には少し変わった妖怪もいた。
その名前は「予言獣・件(くだん)」といい、その名の通り、人間に対して様々予言したと語り継がれている。
今回は日本に伝わる件の伝承を紐解いて見たいと思う。
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予言獣・件とは?
人という字と牛という漢字が組み合わさって件(くだん)と読むこの妖怪は、頭は人間、体は牛の姿をしている。
一説では牛から産まれるといわれているこの件は、数日しか持たない命で人間に様々な預言を残してこの世を去っていくと伝えられている。
その予言には様々な噂や伝説が存在するが、ほとんどの伝承に当てはまることは「予言は必ず当たる」といわれている。
件の歴史と出没情報
件の伝説は主に西日本にて語られており、最も古い目撃談は江戸時代後期の1836年に遡る。
その内容は丹後国・倉橋山(たんごのくに・くらはしやま)にて件が出没したと、当時の瓦版にて掲載された。
先ほどお見せした画像が、まさにそれに当たる。
ちなみに、上記の丹後国は現在でいうところの京都府宮津市にあたる。
件が現れる時期
件が人前に姿を現す時は、戦争前または途中、大地震の前、疫病による大災害の前など、世の中が何かしらの問題を抱えているときともいわれている。
- 日露戦争、第二次世界大戦中
- 西日本だけでなく広島県や岩国でも目撃
- その後は昭和まで目撃されていた
件は悪い妖怪ではなかった
件は人に害を加えたりする類の妖怪ではなく、時には人間にとって非常にめでたい生き物とし扱われていた。
例えば、先程お見せした件の瓦版に書かれた内容は、要約すると下記のような意味になるのだ。
「この件の絵を家の中に張っておけば病気などの災いを受けず、また農家は豊作になる」
これは、いわゆりお守りみたいな物であると考えられる。
件と天保の大飢饉
この件が突如瓦版に現れたことについては、江戸時代に起きた「天保の大飢饉(てんぽうのだいききん)」が理由として挙げられる。
件の出没情報をビジュアルで公開された1836年、この時の日本は大雨が降り続き、その影響により洪水や冷害が発生した。
この自然災害により作物の収穫は大凶作に見舞われ、その影響は1833年から39年までの7年間も続いたといわれている。
一説では1833年から5年間の人口は125万人近くも減少したのとか。
そんな天保の大飢饉の最中に公開され、豊作を促すこの「件」の絵は、凶作に苦しむ農家や江戸の人々に希望を与えるためにこの世に放たれたとも解釈できる。
件の話自体がフェイクであるか、あるいは本当に倉橋山にて目撃されたのか、恐らく真相は今後も謎のままだろう。
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