新開の森はなぜ「シガイの森」と呼ばれるのか?歴史や心霊スポットとしての噂を現地調査してきた
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滋賀県近江八幡市にある「新開の森」は、滋賀県最恐の心霊スポットとしても噂されており、通称「シガイの森」としても知られている。
その背景には、あの織田信長との関わりも噂されており、歴史マニアの興味関心を引く場所でもあるのだ。
今回は、そんな新開の森を実際に現地調査してきたので、その概要や織田信長との関わり、心霊スポットとしての噂について紹介していく。
新開の森はなぜ「ジガイの森」と呼ばれるのか
新開の森は、滋賀県近江八幡市に位置し、豊かな自然に囲まれたエリアの中にある。
この森の特徴は、古くから続く歴史的な背景と地域の伝統に深く結びついていることだ。特に戦国時代の滋賀県は多くの合戦の舞台となり、その中心には織田信長がいた。
一部の噂では、信長はかつてここで女中達を葬るための処刑場として使用していたという都市伝説も存在するが、確たる文献は残っていない。
歴史的な背景として、戦国時代や江戸時代には処刑場が森や山中に設けられることがあったため、この噂もそれに倣って生まれた可能性が高い。
織田信長との関係性
新開の森が織田信長と関連する具体的な証拠は少ないが、彼の勢力範囲内に位置していたため、信長の軍勢がこの地域と関わりを持っていた可能性は非常に高い。
また、信長が築いた安土城が近隣にあったこともあり、この森は間接的に信長の支配下にあった地域と考えられる。しかし、新開の森自体の詳細な役割や出来事については今なお謎に包まれている部分が多いのだ。
心霊スポット化した新開の森
こうした歴史的背景から、新開の森は「心霊スポット」としても知られている。
例えば、森の奥深くで足音が聞こえたり、人の気配がするが誰もいない、といった現象が報告されている。
また、他にも森林を伐採すると祟が起こる、遊び半分で行くと後日事故に遭うなど、現代では様々な体験談がインターネット上で語られているのだ。そのためか、現代では「シガイの森」とも呼ばれている。
これらの現象が本当かどうかは定かではないが、戦国時代に多くの命が失われた可能性がある場所ということを考えると、こうした噂が生まれる背景には一定の説得力があるようにも思える。
新開の森を現地調査してきた
これらの噂を聞いてしまうと、あまり気が進まないが、今回は実際に新開の森を訪れてみた。
まず、新開の森は滋賀県の近江八幡市に位置している。
駅からは多少離れており、周りも田んぼ以外にほぼ何もない所なので、気軽に都心から行ける場所ではないだろう。
新開の森の雰囲気
私は最寄りの安土駅からアクセスしたのだが、田んぼや畑の周りに不自然に木々が生い茂る場所を見て、一瞬で新開の森であることが分かった。
近づいてみると、森の中からセミの鳴き声が恐ろしいほど聞こえ、フクロウの鳴き声や森に出入りするカラスや鳥の群れなども確認できた。
正直、外部から来た私のような人間からすると、昼間でもかなり恐ろしい雰囲気を感じた。ちなみに、森の中へはこちらから入ることもできる。
森の中は暗い様子が外からも伺えたが、これまでの噂が頭をよぎり、念のため中に入ることは断念した。
新開の森の祠
新開の森の中と外にはそれぞれ祠が建てられており、外側の祠には「大脇伝助 建部紹智 殉教碑」という祠が安置されている。
これは、大脇伝助と建部紹智という人物たちが信仰のために命を捧げた(殉教した)ことを讃えるために建てられたと考えられる。
こちらは具体的な背景や詳細は不明だが、彼らの信仰や犠牲が地域の歴史や宗教に大きな影響を与えたのではないだろうか?
一方、森の中にある祠には「今宮大明神 天満宮」と書かれており、これは地域の信仰に関連したものだと考えられる。
この今宮大明神は地域の守護神を指し、天満宮は学問の神として知られる菅原道真を祀る神社の名称である。こちらも設置された時期や理由は明確ではないが、地元の信仰や歴史に深く関わっている可能性が高い。
新開の森・まとめ
新開の森を細部まで調べられた訳ではないが、かなり神聖であり迫力がある場所であることを肌で感じた。
この場所は文献を漁れば、まだまだ面白い情報が出てきそうなので、また機会があれば調査をしてみたいと思う。
ちなみに、この最寄りの滋賀県安土駅から福井県小浜駅方面へアクセスすると、人魚の肉を食べて800年の時を生きた「八尾比丘尼」という人物のゆかりの地などもあるのだ。
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興味のある方は、こちらも是非チェックしてもらいたい。
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