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金太郎は実在していた。金太郎の歴史とゆかりの地を調査してきた

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まさかりを担いだ金太郎の童話は、日本人なら誰もが知る有名な童話だ。

山で獣と相撲を取ったり、熊の背に乗り山を駆け回ったりなど、超人的な描写は子どもたちを魅了してきた。

しかし、この金太郎は実在する人物であり、実際に金太郎が生活していたとされる場所があることをご存知だろうか?

今回はそんな金太郎ゆかりの地、「金時神社」にを取材してきたので、彼のバックグラウンドを含めて解説していきたいと思う。

※この記事は文献、現地フィールドワークを基に執筆していますが、一部で作者の考察も含まれていますので、ご了承ください。

金太郎の童話は実話だった?

結論を先に言ってしまうと、金太郎は確かに実在したといわれている。

その正体は源頼光に仕えた頼光四天王の1人、「坂田金時」だといわれている。

後に詳しく解説するが、金太郎の主な来歴は下記の通りだ。

  • 958年 金太郎誕生
  • 976年 源頼光にスカウトされ坂田金時と命名
    →そのまま頼光四天王となる
  • 990年 鬼(盗賊)の頭領「酒呑童子」を退治
  • 1010年 熱病にかかり永眠
  • 1934年 金太郎をご祭神とする金時神社建立

ここからは下記の年表をより詳しく解説していく。

金太郎の出生

金太郎の母親は彫物師の娘である八重桐という人物で、京にのぼった際に坂田蔵人(さかだくらんど)と結ばれ、金太郎を身籠った。

それをきっかけに、彼女の故郷である中島(現在は神奈川県小山町中島)に戻り、金太郎を産んだのだが、間もなくして父親の坂田蔵人は亡くなったのだとか。

ちなみに、この金太郎が生まれた年は西暦958年で、平安時代中期ごろだ。

その後、中島の地で八重桐に育てられた金太郎は、近所の足柄山で熊と相撲をとったり、大鯉を捕まえたりしてた。

また、母である八重桐をととも大切にしていたともいわれている。

源頼光からのスカウト

金太郎誕生から18年後の西暦976年、偶然にも足柄山付近を通りかかった源頼光にスカウトされたらしく、金時神社にて下記のように伝えられている。

怪童金太郎と出会いその力量を見抜いて主従関係を結ぶと共に坂田金時と命名し、京にのぼって頼光四天王の一人となった

出典:金時神社

これはおとぎ話ではなく、歴史上の実在した人物として様々な書物や日本画にも登場している。

頼光四天王としての活躍

源頼光にスカウトされ京に渡って以降の金太郎の活躍として、一番有名なものは酒吞童子(しゅてんどうじ)との戦いだ。

当時、丹後国大江山(現在でいうところの京都府大江町)にて、酒吞童子といわれる。

鬼の頭領(別の話では盗賊)である酒吞童子が大江山に住み着き、都に出て悪事を働いていたため、源頼光を筆頭に金太郎を含む頼光四天王たちとの戦いが語られている。

最終的に彼らは酒吞童子の首を刀で跳ねて勝利を収めたらしく、その時に使用された刀「童子切」は現在でも東京国立博物館に所蔵され、国宝にも指定されている。

関連記事:鬼を斬った伝説の太刀「童子切」はまだ実在する:その歴史と伝承を解説

この話は御伽草子(おとぎそうし)という室町〜江戸時代にかけて創られた短編物語に収録されているが、作者は未だに不明のままだ。

ちなみに、この御伽草子には浦島太郎や一寸法師など、庶民を主人公にした話が収録されている。

源頼光や金太郎が鬼と戦う理由

先ほど金太郎は実話を下に語られていると話したが、いきなり鬼と戦ったと説明されて戸惑う人もいるだろう。

その理由として、かつての流行り病「疱瘡」が関係している。

疱瘡とは感染力が強く、致命率も高い伝染病といわれており、古代から江戸時代にかけて度々流行していたという。

最も大規模な流行の一つは、735年から737年にかけての「天平の疫病大流行」といわれており、一説では貴族や政府高官を含む人口の25%から35%が死亡したと推測されている。

源頼光や金太郎が鬼と戦う日本画が多いのは、その疫病を鬼(疱瘡神)として見立て、それを源一門が退治することで病気平癒を祈ったとされているのだ。

そんな歴史上の人物でもある源頼光の物語を造る過程で、その側近だった坂田金時(金太郎)の物語も一部童話として生まれたとしても違和感はないだろう。

正直、金太郎に関してはここで語りきれない程の様々な伝説が存在するため、上記はその内の一つと考えてもらえると幸いだ。

金太郎の出生地を現地調査してきた

冒頭でも紹介した通り、金太郎は現神奈川県小山町中島で生まれ、その周辺地域や足柄山で育ったといわれている。

それらの場所は最寄りの神奈川県駿河小山駅からアクセスが可能で、金太郎の歴史を辿ることができる。

金時神社

駿河記(1820年)によると、こちらの拝殿は別名「金時屋敷」とも呼ばれており、かつて金太郎と母・八重桐が暮らしていた家があったといわれている。

1934年に建てられたこちらの神社では金太郎とリンクするように下記のご利益があるようだ。

  • 安産
  • 子育て
  • 家内安全
  • 交通安全
  • 結婚祝辞

また、神社の手前には金太郎二あやかったオールアルミ製の大まさかりが設置されている。

以前は鉄製で作られていたものが設置されていたが、太平洋戦時に資材として使われてしまったそうだ。

ちょろり七滝

金時神社の奥に進むと、ちょろり七滝が現れる。

金太郎の母である八重桐は、この周辺を流れる野沢川のほとりで金太郎を産んだそうで、その帰りにこの滝の水を産湯として金太郎に使用した。

金太郎のサクセスストーリーを知る人々はこの滝の水を産湯として利用していたともいわれている。

二代目金時杉

かつて金太郎が木登りをして遊んでいた木から名付けられている樹木だ。

こちらはもともと樹齢千年を超えていたらしく、その大きさは周りの田園に陽の光が当たらないぐらいのスケールだったといわれている。

そのため、明治一年に初代金時杉を切り倒したところ、その執行人が翌年に発狂するといった事件が起きたため、今の二代目が植えられたそうだ。

足柄山やその他スポット

金時神社の裏手

金太郎の童話の中ででくる足柄山は、この金時神社の裏側にある。

今回は現地には行けなかったが、足柄山では金太郎が猪の鼻を折って埋めた猪鼻神社や金太郎がかつて遊んでいたとされる遊び石などもこの周辺地域には存在しているという。

上記のように金太郎ゆかりの地はまだまだ存在しているので、今後はこの足柄山や金時山にも足を運んでみようと思う。

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