【ダイダラボッチ】日本の地形を変えた巨人とは?各地に散らばる伝説やゆかりの地を解説

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日本に古くから伝わる伝説の中に、「ダイダラボッチ」という巨大な妖怪が語り継がれている。

この巨人は「ダイダラボウ」や「デイダラボウ」などとも呼ばれ、全国各地でさまざまな伝承が残されている。

伝説によると、ダイダラボッチは山や湖を一晩で作り上げるほどの力を持ち、歩いた跡には深い窪みや池ができたといわれている。

今回は、ダイダラボッチの具体的な伝説や縁の地について詳しく解説していこうと思う。

ダイダラボッチとは何者か?

ダイダラボッチは、身の丈が山のように高く、海や大地さえも自在に操る妖怪だったといわれている。

古い文献や伝承では、「日本の風景を形作った存在」といわれており、この大地がどのようにできたかを物語るためのキャラクターとして描かれることも多い。彼の足跡が湖や池となり、山岳さえもその手で築いたとされる伝承が各地に残っているのだ。

また、ダイダラボッチの力は、自然災害や地形の変化を象徴するものでもあった 。古代の人々にとって理解しがたい大自然の変動を、ダイダラボッチのような神秘的な存在に託して説明していたという説も残っている。

ダイダラボッチの伝説が残る背景

日本各地にダイダラボッチの伝説が伝わる背景には、古代の自然崇拝や地形信仰が関係している。

古代の日本では、自然そのものが神聖なものとされ、山や川、湖などは「神々が宿る場所」として崇拝されていた。関東地方だけでなく東北や近畿、四国地方でも同様の信仰があったそうだ。

繰り返しになるが、当時の人々は自然の変化や独特な地形を見て、神秘的な力を感じ取っていた。そうした説明のつかない自然の力を巨人ダイダラボッチに投影して語り継いできたのだ。

ちなみに、琵琶湖や筑波山などもダイダラボッチによって造られたという伝説も残っている。

こうした背景から、ダイダラボッチは日本の妖怪や神話の一部として今なお語り継がれているのだ。

ダイダラボッチの正体は人間か?

日本において、ダイダラボッチは九州では大人弥五郎(おおひとやごろう)と呼ばれていたという伝説もある。

大人弥五郎は別名「弥五郎どん」とも呼ばれており、とんでもない大男として九州で語り継がれているのだとか。その正体は諸説あるが、一説では300歳生きた歴史上の人物「武内宿禰」との説も存在する。

ちなみに、「武内宿禰」は古代日本において、天皇(景行~仁徳天皇)に仕えたとされる人物だ。これは、あくまでも九州で語り継がれている伝説であるため、妖怪ダイダラボッチとしての繋がりは別物と考えていいだろう。

ダイダラボッチが出現した場所

先ほども説明した通り、ダイダラボッチは日本各地の地形に影響を及ぼしてきたと考えられていたが、実はおっちょこちょいな妖怪だったようだ。

その代表的な例が、群馬と長野県の堺にある「浅間山」と「富士山」、そしてダイダラボッチの身に起きた伝承だ。

富士山はかつて浅間山の妹だったらしいのだが、当然ながら富士山の方が背が高かった。それに怒った浅間山は富士山の土を別けてもらうべく、ダイダラボッチに土運びをさせていたのだとか。

ダイダラボッチは、自分の前掛けに土を入れ浅間山をかさ増したのだが、最終的には量が足りず、浅間山を怒らせてしまったそうだ。激怒した浅間山は、最終的には噴火してしまったと言われている。

また、その際に浅間山に引っ叩かれ、そのときに前掛けからこぼれた土は現在の「前掛山」になったと伝えられている。

これはまだまだ序の口で、日本には実際にダイダラボッチが出現したとされる地域が数多く存在するのだ。ここからは、そんなダイダラボッチゆかりの地を紹介していきたいと思う。

静岡県「富士山」

ダイダラボッチは富士山の形成にも関わった伝説がある。

ある伝承によると、ダイダラボッチが地上の土を片手で持ち上げ、それを振り下ろして山となったそうだ。それが今日の富士山と呼ばれるようになったとする伝説が存在する。

富士山周辺には「ダイダラボッチの足跡」とされる湖や池も点在しており、彼のこの地域に影響を及ぼしてきたことが伺える。

また、静岡県には「ダイラボウ」というダイダラボッチに由来する山もあるため、古くからダイダラボッチと縁のある県ということは間違いなさそうだ。

香川県「大束川」

ダイダラボッチ伝説は四国でも語り継がれている。

かつてダイダラボッチは、香川県中部にある飯野山(いいのやま)の山頂に脚をかけて用を足したそうだ。

脚をかけた事により飯野山の山頂はへこみ、そしてダイダラボッチの小便により出来た川こそが、香川県の「大束川」(だいそくかわ)といわれている。

東京都「武蔵野台地」

東京都の武蔵野台地には、ダイダラボッチが住んでいたという伝説が残っている。

武蔵野にある小金井公園付近には、巨人が足を踏み入れた際にできたとされる「足跡池」があったといわれており、これはダイダラボッチが大地を歩いた痕跡だとされている。

また、ダイダラボッチが武蔵野の大地を耕していたと伝えられ、その力によって一帯が形作られたという説もある。

福井県「九頭竜湖」

福井県にある九頭竜湖にもダイダラボッチの伝承が残っている。

ダイダラボッチがこの地で手をついたとき、指の跡が川となり、その川が後に九頭竜湖となったとされる。

また、この地域では、ダイダラボッチが周囲の山々を力で引き寄せ、九頭竜川を形成したという伝承も伝えられている。

このように、福井県一帯の地形や川の流れが彼の巨体によって形成されたそうだ。

三重県「伊勢志摩」

三重県の伊勢志摩地域には、ダイダラボッチが通ったことでできた「ダイダラボッチの道」という伝説が残っている。

伊勢志摩の山道には巨人が歩いた際にできたとされる深い足跡があり、それが今でも「ダイダラボッチの道」として語り継がれている。

また、この地域ではダイダラボッチが海から巨石を運び、山を築いたとする伝承も伝わっている。

岩手県「遠野市」

遠野市には「デイダラボウ」と呼ばれる伝説があり、ダイダラボッチに似た巨人が登場する。

遠野の山々や川は、デイダラボウによって形成されたとされ、特に大きな石や岩などは彼の力で動かされたとされている。

この地域では、彼が山から山へ石を運び、大地を形作ったという物語が語り継がれている。

世界各地で巨人伝説が存在する意味

ダイダラボッチのような巨大な存在が自然を作り変える伝説は、日本だけに限らない。

たとえば、北欧神話には「ヨトゥン」という巨人が登場し、彼らも山や海、湖などを作り出す存在として描かれている。

また、ギリシャ神話の「タイタン」や、北アメリカ先住民の「トリックスターフィギュア」も、自然を自在に操る巨人としての側面を持っている。

このように、巨人が自然を作るという伝承は世界中で見られるものであり、人が自然を崇拝し、理解を超える力を巨人に投影する共通の思いがあると考えられる。

ダイダラボッチ伝説のまとめ

ダイダラボッチは、日本の妖怪伝説の中でも特にスケールの大きな存在であり、その伝説は全国各地に残っている。

彼の力が土地に特別な意味が与え、壮大な伝説を作り上げてきたのだ。

この巨人の足跡を辿り、日本の各地を巡ることで、伝統的な文化や神秘に触れる機会となることだろう。

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