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【実録】明治政府を震撼させた6人の賞金首とは?実在した最強のお尋ね者たちを解説

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明治という時代は、一夜にして「賊」と「官」が入れ替わった時代だった。

徳川の世では忠臣だった者が賊軍と呼ばれ、倒幕派の志士が新政府の官僚となった。

その激しい逆転の中で、新しい秩序に染まれなかった者、あるいは染まる気など最初からなかった者たちが「お尋ね者」となって各地を荒らし回った。

そのこともあり、賞金首(懸賞金付きの指名手配)という制度は、明治政府が近代的な警察機構を整備する過程で本格化したのだ。

そこには旧幕臣・不平士族・盗賊・思想犯など、様々な背景を持つ人間たちの名が並んだといわれている。

今回は明治時代に実在した「最強の賞金首」たちを6人を取り上げていき、彼らがいかなる人物で、なぜ新政府の敵となったのかを解説していきたいと思う。

西郷軍最強の剣士「中村半次郎(桐野利秋)」

「人斬り半次郎」の異名で知られる桐野利秋(旧名:中村半次郎)は、幕末から明治初期にかけて最も恐れられた剣士の一人だ。

薩摩藩の下級士族の出身でありながら、その剣の腕前は藩内でも群を抜いていた。

幕末の動乱期には倒幕派の刺客として暗躍し、天誅と呼ばれる暗殺活動に関わったとされている。

京都の夜、刀一本を手に幕府側の人物を次々と斬り捨てたと伝えられており、「人斬り」の名はその実績から来ているのだとか。

明治維新後は新政府の陸軍少将にまで昇進したが、西南戦争(1877年)で西郷隆盛とともに明治政府に立ち向かった。

薩摩軍の実質的な指揮官として政府軍と激戦を繰り広げたが、城山の最後の戦いで銃弾に倒れた。

「賞金首」となった経緯

西南戦争において明治政府は反乱軍の主要人物に懸賞金を設け、桐野利秋にも高額の懸賞金が懸けられたとされている。

彼の剣の腕前と指揮能力は政府軍にとって現実的な脅威であり、早期の排除が急務だった。

最期の城山での戦いでは、すでに大勢は決していたにもかかわらず、桐野は撤退も降伏も拒否して最前線に立ち続けたのだとか。

「薩摩士族の意地」を体現するかのような最期だったと伝えられている。

その剣技と気概は後世にも語り継がれ、「明治最強の剣客」の一人として今も高い評価を得ている。

人斬り暗殺者「河上彦斎」

河上彦斎は幕末期の熊本藩士で、「人斬り以蔵(岡田以蔵)」「人斬り新兵衛(田中新兵衛)」と並び称される幕末四大人斬りの一人に数えられている。

特筆すべきはその思想性だ。岡田以蔵や田中新兵衛が命令に従って動く「道具」的な側面を持っていたのに対し、河上は尊攘思想(外国勢力を排除し、天皇を中心とした国づくりを目指す思想)への確信から自発的に暗殺を行ったとされている。

1864年の佐久間象山暗殺がその代表的な事件だ。開国論者・洋学者として知られた象山を「尊攘の敵」とみなして斬殺した。

河上彦斎の剣技は当代一流のものだったとされ、「小柄で線が細いが、いざ刀を抜くと別人のようになる」と同時代の人物に評されている。

明治政府に処刑された「思想犯」

明治維新が成ってなお、河上は尊攘の信念を曲げなかった。

新政府が欧米との条約を結び、文明開化の路線を突き進むことへの強い反発を持ち続けた。

1871年(明治4年)、廃藩置県に反対する不平士族との連座を疑われて逮捕される。

裁判の結果、1872年に斬首刑に処された(享年32歳)。

維新の功労者のひとりでもあった彦斎が、皮肉にも維新後の新政府によって処刑されたことは、明治初期の政治的複雑さを象徴する出来事だったといえる。

河上彦斎は後に漫画『るろうに剣心』の主人公・緋村剣心のモデルの一人とされており、現代でもその名は広く知られている。

拷問にも耐え続けた最後の刺客「岡田以蔵」

岡田以蔵は土佐藩出身の剣士で、武市半平太率いる土佐勤王党の「人斬り」として幕末に恐れられた。

その剣の腕は天下一品とも評され、鏡心明智流の免許皆伝を得ていたといわれている。

土佐勤王党の指示のもと、京都で幕府側の人物や開国論者を次々と暗殺した。

その数は諸説あるが、複数の暗殺に関与したことはほぼ確実とされている。

冷静な実行力と剣の速さから「以蔵に斬られたら気づく間もない」とまで言わしめたそうだ。

捕縛後の「転落」と処刑

1863年、以蔵は酒に溺れる生活の中で自らの正体を漏らしてしまい、幕府側に逮捕される。

苛烈な拷問を受けたものの当初は黙秘を貫いたとされるが、最終的には関係者の名を供述したのだとか。

この「裏切り」によって師・武市半平太との関係は決定的に壊れた。

そして1865年、土佐藩によって斬首刑に処された。享年27歳の短い生涯だったが、その剣の名声は幕末を象徴するものとして語り継がれている。

以蔵の悲劇性は、思想よりも「命令」で動いた点にある。

組織の刺客として利用され、不要になれば見捨てられた。明治以前の話ながら、幕末の志士たちの暗部を体現する存在として評価されている。

明治の警察 VS 大怪盗「松田源五郎(荒尾の親分)」

明治時代には剣客や士族だけでなく、純粋な「盗賊」として恐れられた賞金首も存在した。

その代表格が松田源五郎、通称「荒尾の親分」だ。

熊本・荒尾地方を根城にした松田は、明治10年代から20年代にかけて九州各地で窃盗・強盗を繰り返した。

単独犯ではなく配下に数十人の子分を持ち、組織的な犯罪を展開したといわれている。

富裕層や商家を狙い打ちにする一方、貧しい農民には手を出さないという「侠客」的なルールを持っていたとされ、地元では一種の英雄視もされたという。

新設警察を嘲笑うかのような逃亡術

明治政府が近代警察制度を整備していった時期、松田は巧みな変装と情報網を駆使して捜査網をかいくぐり続けた。

複数回の逮捕を経験しながらも脱走を繰り返し、当時の警察は「荒尾の親分には手が出せない」と半ば諦め気味だったとも伝えられる。

最終的に1890年代に捕縛され、重刑に処されたとされるが、詳細な記録は残っていない。

ただ、その活動期間の長さと組織的な犯罪手法は、明治の治安行政に大きな課題を突きつけた事例として記録されている。

霧の五郎と呼ばれた都市型怪盗「辰野金吾(大江卓)」

明治中期の東京では、「霧の五郎」という通り名を持つ盗賊が警視庁を悩ませていた。

実名は不明確な部分が多いが、記録によれば明治20年代(1887〜1890年代)に東京・横浜周辺で活発に活動した人物とされている。

霧の五郎の特徴は、文明開化で急速に発展した東京の「新しい建物」を狙った点にある。

ガス灯が灯る銀座や、洋館が立ち並ぶ山の手の商家・邸宅を標的にし、夜霧に紛れるように犯行後は忽然と消えた。

現場には必ず「雨の夜には用心せよ」という手書きの紙片が残されたという話が伝わっており、それが「霧の五郎」という異名の由来とも言われている。

「文明開化」への挑戦状

霧の五郎の行動には、急速な近代化への反発という側面があったとも読める。

狙う相手が一貫して「新富裕層」や西洋化した商人だったことは、単純な金銭目的以上の何かを示唆しているように見える。

最終的な逮捕・処刑については諸説あり、確証のある記録は少ない。

ただ、この人物が当時の瓦版(新聞の前身)に繰り返し取り上げられ、民衆が半ば面白がって追いかけていた事実は、明治の庶民感情を反映したものとして興味深いものを感じる。

各地に蘇った「西郷隆盛の亡霊たち」

西南戦争(1877年)で戦死した西郷隆盛は、その後も「実は生きている」という噂が全国に広まり続けた。

そしてこの噂を利用して、各地で「西郷様が蘇った」と称する人物が次々と現れた。

中でも有名なのは「西郷蘇生事件」と呼ばれる一連の騒動で、明治10〜20年代に複数回発生している。

自らを西郷の生まれ変わりや影武者と称した人物が不平士族や農民を集めて反政府活動を起こし、各地で小規模な騒乱を引き起こした。

「西郷の名」を使った反乱と賞金首

こうした「偽西郷」や西郷の名のもとに反乱を企てた人物たちには、明治政府から懸賞金や指名手配が出された。

彼らは組織力こそ弱かったが、各地の不満分子を糾合する力を持っており、政府にとって無視できない脅威だった。

特に1878年の竹橋事件(近衛兵の反乱)、1882年の福島事件、1884年の秩父事件などは、直接的な「西郷の残党」ではないものの、西南戦争後の社会不安が凝縮した騒乱として歴史に刻まれている。

これらの騒乱に加わった主要人物には軒並み厳しい賞金や指名手配が出され、逮捕・処刑された者も少なくない。

「西郷の亡霊」を担ぎ上げた人々の多くは、明治政府の急速な変革についていけなかった旧士族や農民だったそうだ。

彼らの存在は、文明開化の影で進んだ「明治の貧困と怒り」を如実に物語っている。

まとめ・「賞金首」たちが語る明治の実像

明治という時代を動かしたのは、革命に成功した側の人間だけではなかった。

新秩序に染まれなかった者、利用されて捨てられた者、信念を貫いて処刑された者、貧しさゆえに盗賊に転落した者たち…

こうした「お尋ね者」たちの存在が、明治という時代の複雑な実像を補完している。

賞金首として追われた人物たちは、歴史の表舞台からは消えていく存在だ。

だが彼らの生き様の中に、明治という激動の時代を底辺から支え、あるいは抵抗した人間の姿が透けて見えるのではないだろうか。

「勝てば官軍」という言葉が生まれたこの時代、文献を辿っていくともっと興味深い逸話に辿り着くのではないだろうか?

関連記事:もし旧幕府軍が戊辰戦争で勝利していたら日本はどんな道を辿っていた?


参考文献・参考資料

【桐野利秋(中村半次郎)】

・桐野利秋の虚像と実像(西南戦争研究サイト) https://saigoutakamori.sakura.ne.jp/kirino1.htm

・中村半次郎と別府晋介の解説(人物事典 幕末維新) https://jpreki.com/beppu-shi/

【河上彦斎】

・河上彦斎~幕末の兵学者・佐久間象山を暗殺した男~(歴史街道) https://rekishikaido.php.co.jp/detail/4665

・河上彦斎(歴史くらぶ) https://rekishi-club.com/河上彦斎 佐久間象山を殺害した、筋金入りの攘夷派の殺し屋/

・河上彦斎(幕末ガイド) https://bakumatsu.org/events/view/434

【岡田以蔵】

・岡田以蔵~人斬り以蔵と呼ばれた男(歴史街道) https://rekishikaido.php.co.jp/detail/4689

・岡田以蔵(幕末から維新・土佐の人物伝) https://www.tosa-jin.com/izou/izou.htm

【竹橋事件・秩父事件】

・竹橋事件(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/竹橋事件

・秩父事件(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/秩父事件

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