秩父にある謎の暗号石とは?秩父の奇人・「即道」の伝説を調査してきた

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画像:即道神社の爪彫石

日本の歴史では、様々な偉人達が活躍してきたが、表立って語られることのない人物も存在している。

例えば、埼玉県・秩父エリアには、「奇人・即道」と呼ばれる人物の伝承が語り継がれている。

即道は常人では考えられない身体能力を持ち、さらに現代でも解析不可能な暗号を石に刻んだといわれている。

今回は、そんな即道の暗号石を実際に調査してきたので、彼の伝説を含めてご紹介していく。

※この記事は2021年に執筆されたものとなっています。

秩父の伝説「奇人・即道」とは?

画像:秩父の即道

即道とは、1688年から1703年に存在した人物で、当時は秩父の薬師堂と呼ばれる場所に住んでいたといわれている。

ちなみに、彼は後に出家して即道神社の僧侶になったそうで、それまでは「六兵衛」と呼ばれていた。

そんな即道が、下記のような奇妙な伝説を残している。

  • 秩父から江戸へ半日ほどで往復
  • お湯を沸かす間に薬師堂から武甲山に登って帰ってくる
  • 自身の爪で暗号石(爪彫石)を造る
  • 2メートルの薬師如来像を一夜で彫る

常人では考えられないような逸話だが、実際に秩父地域ではこれらが今でも語り継がれているのだ。

秩父→江戸を半日で移動した

即道は、常人とはかけ離れた俊足だったらしく、一日で何十里も移動することかできたと言われている。

著書・秩父の伝説(2007)によると、かつて薬師堂周辺で祝儀があったらしく、秩父では入手困難な鯛などの魚が必要となったそうだ。

そこで即道が江戸へ行き、夕方には魚を入手し、秩父へ戻ってきたと伝えられている。

画像:葛飾北斎 江戸日本橋
葛飾北斎 江戸日本橋

ちなみに、秩父から江戸までは往復200キロ以上の距離があり、当時は現代のように道路の整備などもされていない。移動手段も徒歩のみだった。

現代の42.195kmフルマラソンの世界記録が1時間59分となっているので、これを半日で約5回ほど繰り返す計算となる。

もし即道が現代に生きていたら、間違いなくオリンピックメダリストになれるだろう。

即道は超能力者たった説

即道の俊足エピソードは他にも存在する。

彼は「お湯が沸く前に武甲山の鐘撞き堂へ行き、鐘を鳴らしてくる」と言い放ち、秩父の武甲山に向かったそうだ。

画像:秩父の武甲山
秩父・1295メートルの武甲山

その後、お湯が沸騰する間もなく鐘の音が響き、その頃には即道も帰ってきたと伝えられている。

日本の伝説・民間伝承に詳しい近藤和吉氏(2006)は著書の中で、即道の尋常ではない快速から「人智を超えた能力が使えたのではないか」とも語られている。

ちなみに、地方にはこのような何かしらの能力を持ったとされる人物の伝説を時折目にすることがある。

その意味では、以前紹介した人魚の肉を食べ不老長寿を手にしたとされる八百比丘尼も、即道と同じ類の能力者だったのかもしれない。

関連記事:人魚の肉を食べた八百比丘尼の罪とは?その伝説を福井へ現地調査してきた

即道神社を実際に調査してきた

今回はその痕跡を辿るため、新宿から2時間30分、秩父鉄道などで計5回の乗り換えを行いながら、即道ゆかりの地へと訪れた。

画像:即道神社
秩父の即道神社

冒頭でも触れたが、彼は後に即道神社の僧侶となり、名前も六兵衛から即道へと改名している。

彼が僧侶となった即道神社は、現在でもこの武州中川駅近くに残っており、その痕跡を辿ることが可能だ。ちなみに、神社自体は住宅地の横にあり、外観は非常に小さなものであった。

また、この神社の左側の建物には、即道が約一か月で創り上げたといわれている「薬師如来像」が設置されている。

画像:即道神社の薬師如来像

一説では、かつてこの周辺の薬師堂に古い如来像が安置されていたのだが、即道がどこかへ持ち去ってしまったのだとか。

そのため、新しい如来像を造らされることになるのだが、その際に間違えて座像を造ってしまったそうだ。その間違えて作ってしまった座像こそが、この薬師如来像といわれている。

ちなみに、間違えて座像を造ったことを責められた即道は、今度は一夜にして2メートルの立像を造ったといわれている。

その立像は、今でもこの地域の薬師堂に安置されているそうだ。

暗号が刻まれた爪彫石

画像:即道神社の爪彫石

即道が残した物の中で、爪彫石は最も謎に満ちたモニュメントの一つだ。

この石は名前の通り、即道の爪で彫られたと言われており、暗号のような文字が刻まれている。こちらも実際に即道神社で観ることが可能だ。

石を周りを左から円を描くように謎の文字が刻まれており、下記のような内容が投影されている。

  • 所願
  • 由来
  • 享保二年正月元年(1717年)

これらの細かい意味や詳細は未だに解読されておらず、この石の謎を解ける人こそ、即道の再来であるといわれていわれている。

ちなみに、この石は油石という重く堅い素材で出来ており、即道が富士山を参拝した際に持ち帰ったと伝えられている。

石の重さは約500キロ、長さは90cmはあるのだとか。

即道の伝説・まとめ

即道の奇人エピソードを文献を元に紹介してきたが、彼の伝説はこの秩父地域に深く根付いているようにも見えた。

それは、この地域の人々が爪彫石などを大事に保管し、後世に語り継いできたからに他ならない。

即道の伝説は大変興味深いのだが、秩父にはこのような民間伝承がまだまだ沢山存在している。

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興味のある方は、これらの不思議スポットを巡りながら秩父観光をされてみてはいかがだろうか。

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