三保の松原の羽衣伝説とは?歴史や地理を現地調査してきた。見どころも解説

※この記事にはアフィリエイト(商品)リンクが含まれている場合があります。

「羽衣伝説」という日本に古くから伝わる伝承をご存だろうか?

天から羽衣を来た天女が舞い降りてきたといわれてる伝承で、様々な地域にて語り継がれている。

その中でも最も羽衣伝説が色濃く残る地が、静岡県清水区にある「三保の松原」だ。

今回はそんな三保の松原にて、今なお語り継がれている羽衣伝説を現地調査してきたので、ここでご紹介したいと思う。

三保の松原とは

羽衣伝説を語る前に、まずはその舞台となった三保の松原について軽く説明しておく。

三保の松原は静岡県清水区にある名所で、この地域はかつて「駿河国」とも呼ばれていた。

当時の資料によると、江戸時代以前の三保は半島として独立していた様子が描かれており、数百年の年月を得て駿河国本土と陸続きとなった様だ。

出典:静岡県立美術館 「富士三保松原図」

現在の三保の松原は約7kmの海岸の隣に面しており、約3万本の松の木が続く美しい景観となっている。2013年には、富士山の構成資産として世界文化遺産にも登録された程だ。

また、日本を代表する歴史的アーティストである歌川広重や、夏目漱石、太宰治、三島由紀夫などの文豪たちによって、作品の題材としても取り上げられた。

富士三十六景 駿河三保之松原(歌川広重 1858)

現在では日本国外から多くの観光客が訪れる人気観光名所となっおり、サイクリングロードや最寄りの清水駅から水上バスなども通っている。

三保の松原と羽衣伝説

本題に入るが、この三保の松原には羽衣伝説という古くから語り継がれてきた伝承が存在する。

かつて空からこの地に降り立った天女がいたそうで、彼女はこの美しい三保の松原に感激し、近くで水浴びをしていたそうだ。

出典:静岡県立美術館

その時、この周辺に住んでいた伯梁(はくりょう)という漁師が偶然にも松の木に掛ったに天女のキレイな羽衣を見つけ、持ち帰ろうとした。

それに気づいた天女は、羽衣がなければ天には帰れないと告げたのだが、漁師はそれを返すのを渋ったそうだ。

しかし、天女が困り果てている姿を見た漁師は、それを返す代わりに、自分のために舞を踊ってほしいと要求した。

天女は彼のために喜んで「月世界の舞」を踊り、その後は空の彼方へと去って行ったのだとか。

羽衣伝説は一つだけではない

上記のストーリーは羽衣伝説の通説として知られているが、他にも逸話は存在する。

他の伝承では、漁師が発見した羽衣と引き換えに、嫁になることを条件に持ちかけられたそうで、彼との間に子供もできている。

その後、隠れていた羽衣を見つけ、天へと帰っていたと伝えられている。

羽衣伝説の分布と関わり

羽衣伝説はこの静岡県清水区だけでなく、世界(特にアジア圏)に分布する白鳥乙女伝説の一つに分類される。

白鳥乙女伝説から派生した物語は下記の国々で語られている

  • イスラム 千夜一夜物語の中の「バスラのハサンの物語」
  • インド バラモン教聖典の一つ「リグ・ベータ」
  • インドネシア バリ島民話「ラジャパラ物語」
  • 韓国 朝鮮民謡「天女と木こり」
  • 日本の羽衣伝説(千葉、滋賀、鳥取、大阪、京都)

日本の場合、各地域で物語に違いはあるが、いずれも天から降りてきて水浴びをしているところから始まる物語は共通している。

羽衣伝説が広まったきっかけ

そんな羽衣伝説は19世紀後半には能楽として演じられたことをきっかけに、能と共に海外に知られるようになったといわれている。

その中でもこの三保の松原では、毎年10月に三保羽衣薪能が開催され、羽衣伝説を模した能楽が披露されているほど、伝承と地域が深く結びついている。

上記を考慮しても、この清水区に伝わる「駿河国三保ノ松原」こそが、日本において最も有名であることは間違いないだろう。

三保の松原を現地調査してきた

三保の松原がある三保半島には、今なお羽衣伝説の足跡を辿ることができるスポットが点在している。

今回は現地調査に行ってきたので、それらを紹介していきたいと思う。

羽衣の松

先程の話でも出てきた通り、天女が羽衣を引っ掛けたとされる松がこちらだ。

こちらは現在、三代目の松らしく、初代は1707年の富士宝永山噴火によって海没したといわれている。

残念なことに、2代目も平成25年に枯れてしまったようだ。

ここで天女と漁師の物語が始まり、日本各地で語り継がれる伝説になったと思うと感慨深い。

付近の無数に広がる松原の景観もとても美しく、天女が魅了され舞い降りたのも納得と言わざるを得ないだろう。

御穂神社

三保の松原を訪れる人が参拝される御穂神社。

ここにたどり着くには、「神の道」とよばれる場所を通ることにる。

こちらは樹齢200〜300年の老松が、約500メールほど並んでいる。名前の通り、神様がここを通って御穂神社を訪れるらしく、三保の松原でも独特の雰囲気を醸し出している。

創建年月は今でも不明となっているが、神社によると下記のように語り継がれている。

三保を中心に鎮座し三保大明神とも称せられ、駿河国の国魂の神、国土開発の神、海の神と崇められ古くから朝野の崇敬をあつめた。

引用:御穂神社

ちなみに、ここには羽衣の切れ端が保管されているらしいが、残念ながら拝むことはできなかった。

鎌ヶ崎

羽衣の松から北東へ進むと、太平洋を望む鎌ヶ崎へと出ることができる。

確固たる情報はないが、天から舞い降りた天女が水浴びをしていた場所は、地理的にここではないかと予想できる。

ちなみに、晴れている日であれば海と富士山の美しいコントラストを楽しむことができる。

静岡市三保松原文化創造センター・みほしるべ

羽衣伝説とは少し逸れるが、この「静岡市三保松原文化創造センター・みほしるべ」は情報収集、もしくは観光の際に役立つ場所だ。

こちらには三保の松原や駿河地域などの歴史が詳細に解説されているため、それらの理解を深めるにはうってつけの施設となっている。

また、近くにはレンタルサイクル(Hello cycle)が並んでいるので、こちらを使って三保を観光することも可能だ。

三保の松原・まとめ

羽衣伝説が嘘か本当かは確かめようがないが、これほど伝説と観光名所が結びついているスポットは、中々珍しいと思う。

静岡県は羽衣伝説以外にも古くから語り継がれる伝承が多いので、またの機会に現地調査にいければと思う。

ちなみに、この近くには「河岸の市」という海鮮市場や、電車で浜松や静岡駅にも1本でアクセスできるので、観光として訪れる際にもおすすめだ。

Comments

コメントをするにはログインが必要です。
まだアカウント登録が完了していない場合はこちらから行ってください。

あなたの持ってる知識を投稿して、世界に共有しましょう!登録を行えば誰でも記事を投稿できるようになります。

記事を投稿する