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江ノ島は立入禁止区域だった?龍口明神社に伝わる五頭龍・弁財天伝説からひも解く江ノ島の歴史とは?【現地調査】

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画像:龍に乗る弁財天

神奈川の人気観光スポットとして知られている「江ノ島」には、古くから数々の伝説が語られている土地であることをご存知だろうか?

江ノ島は「神の島」とも呼ばれており、かつては限られた人間しか立ち入ることを許されていなかった。

また、この地には「弁財天信仰」や5つの頭を持つ「五頭龍」など、江ノ島誕生と関りの深い伝承が今なお語り継がれているのだ。

今回はそんな江ノ島に伝わる伝説や、五頭龍ゆかりの地である「龍口明神社」などを実際に現地調査してきたので、それらを解説していきたいと思う。

そもそも江ノ島とは?

画像:江ノ島の海

江ノ島は、神奈川県藤沢市にある県内屈指の人気観光スポットとして知られている。

付近には鎌倉や海水浴場などもあり、特に夏場や大型連休には多くの観光客が訪れるれことでも有名だ。

そんな江ノ島だが、元々は島全体が信仰の対象(神域)だったらしく、鎌倉時代までは人の出入りはかなり厳しく制限されていたといわれている。

五頭龍と弁財天の伝説・江ノ島誕生まで

ここからは、今なお語り継がれる江ノ島誕生までの歴史、弁財天と五頭龍の神話を詳しく解説していきたいと思う。

江ノ島の中央には、「江島神社」とよばれる由緒正しき神社が達てられていると同時に、「弁財天」という仏教の神様が祭られている。

画像:龍に乗る弁財天

江ノ島では、「弁財天信仰」と「龍口信仰」という2つの宗教的信仰があり、それらを深堀していくと江ノ島誕生の伝説と深い関わりを持っていることに気づく。

人々を苦しめた悪龍「五頭龍」とは?

神話によると、現在の江ノ島がある場所は、大昔はまだ何も存在してなく、無の状態だったといわれている。

そんなまだ何もなかった江ノ島の隣、現鎌倉市の津村と呼ばれる場所には、かつて約150kmほどの湖か存在したそうだ。

そして、そこには5つの頭を持つ悪龍「五頭龍」が住みつき、周辺地域の村人に対して様々な悪行を行っていたといわれている。

五頭龍が行っていた具体的な悪行は下記の通りだ。

  • 人々の間に病を流行らす
  • 暴れて近隣の山を崩す
  • 天から火の雨を降らせる

このように、その人智を超越した力を使い、人々に対して嫌がらせを行っていたのだとか。

天変地異と海底から現れた江ノ島

画像:上空からの江ノ島

そんな海しかなかった現・江ノ島の周辺地域に、突如天変地異が起きた。

552年の4月12日に起きたと語り継がれているこの天変地異は、下記のように地形をも変えるほどの大災害をもたらしたそうだ。

  • 552年に起きた天変地異
  • 黒雲に覆われた空
  • 大地震
  • 地鳴り
  • 周辺地域が深い霧に覆われる
  • 高波が海から押し寄せる
  • 山が崩れ落ちる

この天変地異は4月23日まで、約2週間近く続いたといわれている。

その後、海底で大爆発が起き、巨大な岩を乗せた火の柱が地上まで吹き出してきたそうだ。まさに、この巨大な岩こそ、現在の「江ノ島」だといわれている。

弁財天の降臨と五頭龍の恋

そんな天変地異の様子を水中から観ていた五頭龍だが、「弁財天」とよばれる天女が地上に舞い降りてくる姿を目撃する。

伝承によると、この弁財天は紫色の雲に乗り、天変地異によって形成された江ノ島の地に降臨したといわれている。

画像:五頭龍と弁財天
出典:鎌倉手帳

五頭龍はその美貌に心を奪われ、現代でいうところの求婚を迫ったのだが、弁財天からは「悪行を重ねてきた龍の妻にはなれない」と断られたそうだ。

これにショックを受けた五頭龍は、今後は改心することを弁財天に誓った。

それからの五頭龍は、村人のために雨を降らせたり、台風などの自然災害を防いだりと、世のため人のために善行を尽くしたといわれている。

ちなみに、後に五頭龍と弁財天は結婚したそうだ。

五頭龍の寿命と弁財天との別れ

人々を災害から守っていた五頭龍だが、力を消耗した代償により、着々と寿命が近づいてくる。

自らの命がもう長く持たないことを悟った五頭龍は、弁財天に一生の別れを告げ、江ノ島の地を後にする。

この地に伝わる伝承では、五頭龍は死後に片瀬の龍口山となり、人々を災害から守り続けたといわれている。

その後、人々はその山に「龍口明神」を建て、五頭龍大神(国家安泰の神)として五頭龍を祭ったそうだ。

五頭龍を祭る龍口明神社を実際に調査してきた

画像:龍口明神社 全体

神話で語り継がれる五頭龍は、現在は江ノ島近くの西鎌倉にある「龍口明神社」にて祭られている。

こちらは鎌倉市で最も古い神社といわれており、創建は552年(538年との説もある)となっている。

五頭龍が改心したのが552年の天変地異以降なので、前者の方が創建年の方が濃厚かもしれない。

龍口明神社の境内は、御神木と手水舎、拝殿・本殿のシンプルな造りとなっているが、所々で龍にちなんだ装飾が施されている。

画像:龍口明神社の手水舎
龍口明神社の手水舎
画像:龍口明神社の御神木
龍口明神社の御神木

ちなみに、龍口明神社は西鎌倉駅の外れにあるため、少々わかりづらい場所となっている。

龍口明神社の御祭神とご利益

画像:龍口明神社の拝殿
現龍口明神社の拝殿

龍口明神社では、五頭龍以外にも「玉依姫命(たまよりひめのみこと)」と呼ばれる神様が祭られている。

こちらは、神話では神武天皇の母であると語られているが、龍口明神社では日本各地に伝承の残る一族「海神(わたつみ)族」の末裔であり、龍神を束ねる乙姫的な存在であると語り継がれている。

そのため、龍口明神社では下記のようなご利益をいただけるそうだ。

玉依姫命のご利益
・安産
・縁結び
・子授け

五頭龍のご利益
・心願成就
・縁結び
・交通安全
・国家安泰

ちなみに、玉依姫命と同じ海神族の伝承に関しては別の記事でも触れているので、こちらもぜひチェックしてもらいたい。

関連記事:【海人族】日本の海を支配した集団とは?海人族の歴史や安曇野開拓などを徹底解説

旧龍口明神社

画像:旧龍口明神社

ちこの旧龍口明神社はかつて江ノ島駅近くに建てられていたが、1978年に現在の西鎌倉へと移されたそうだ。

そのため、事実上、この旧社こそが江ノ島で最も古い神社ということになる。

画像:旧龍口明神社の全体写真

この旧龍口明神社は長い階段を登った先に建てられており、弁財天のいる江ノ島を向く形で鎮座している。

60年に一度開催される行事とは?

この龍口明神社では、60年に一度だけ「巳年式年祭」という行事が催される。

本殿に納められている木彫りの五頭龍を神輿し乗せ、江島神社・中津宮へと連れて行くのだ。

画像:江島神社の奉安殿
二体の弁財天像を安置する江島神社の奉安殿

その後、江ノ島の弁財天と共に一時を過ごしてもらうそうだ。

ちなみに、この行事は平成元年(1989年)に行なわれたので、次に見られるのは60年後の2049年ということになる。

龍口明神社に飾られた謎の紋章

龍口明神社の境内をよく観察してみると、江ノ島の各神社などで見られる「三つ鱗」の紋章が掲げられていることに気がつく。

画像:龍口明神社の三ツ鱗
龍口明神社の紋章

また、こちらの三ツ鱗は龍口明神社だけでなく、江島神社の社紋としても飾られている。

画像:江島神社の社紋
江島神社の社紋

実はこの三ツ鱗は北条家の家紋といわれており、江ノ島で起きたとある伝説に基づいて生まれたといわれている。

かつて鎌倉幕府の初代執権「北条時政」が江ノ島の弁財天の祠で子孫繁栄の祈願をしている時、目の前に弁財天らしき美女が現れ、下記のようなお告げを残したのだとか。

「北条時政の願いは叶えるが、非道な行いがあれば北条家は滅亡する」

その後、弁財天は大蛇となり、3枚の龍の鱗を残して海へ去っていったそうだ。

画像: 芳年武者无類「遠江守北条時政」
芳年武者无類に描かれた「遠江守北条時政」

これをきっかけに北条家の家紋は三つ鱗になったといわれている。

その名残りか、鎌倉幕府の所在地でもあった相模国鎌倉周辺の「龍口明神社」や「江島神社」でも、三ツ鱗が社紋として飾られている様子がうかがえる。

やはり、歴史を見てもこの地と弁財天伝説は切っても切り離せない関係にあるようだ。

弁財天と五頭龍の伝説・まとめ

今回調査をする中で、江ノ島地域と弁財天にまつわる伝説の結びつきの強さを節々に感じた。

そこのから生まれる信仰が、今の江ノ島を形つくり、今なお多くの人々を魅了してるといっても過言ではないだろう。

ちなみに、弁財天伝説は日本各地に点在しており、出雲の稲佐の浜などにも伝説とともにまつられている。

興味のある方は、こちらもチェックしてみてはいかがだろうか。

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