現代に蘇った吸血鬼事件の真相と歴史を解説する

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吸血鬼と言えば、中世で恐れられた存在という印象が強いかもしれない。しかし、近年の研究によれば、吸血鬼の伝説は約4000年前の東ヨーロッパにまで遡る可能性があるという説も出てきている。

かつては「吸血鬼裁判」なるものが行われるほど、吸血鬼は人々の間で身近な存在だった。しかし、現代ではその存在をどれほど意識されているだろうか?

日本ではあまり知られていないが、ルーマニアのトランシルバニア地方など、海外では今でも吸血鬼が実際に信じられ、恐れられている。

さらに、吸血鬼の目撃談も多く報告されており、今なお吸血鬼ハンターや吸血鬼狩りが行われている地域が世界には存在するのだ。

今回は、吸血鬼にまつわる謎や事例、その特徴について解説していく。

吸血鬼の歴史

吸血鬼の概念自体は、紀元前から存在していたといわれており、実際に古代ギリシャやローマには、死者が生者の血を吸うという伝説がある。

また、中世ヨーロッパでは、疫病や突然死が多発し、これが吸血鬼の存在と結びつけて考えていた。特にルーマニアやバルカン半島の地域では、死者が蘇って村人を襲うという信仰が強まり、その存在を「ストリゴイ」と呼んでいた。

18世紀には、「吸血鬼恐怖症」と呼ばれる現象がヨーロッパ中に広まった。特に、オーストリアやドイツでは、吸血鬼の噂が広がり、政府が吸血鬼に関する調査を行った記録が残っているのだとか。多くの遺体が掘り起こされ、心臓が杭で打たれるなどの処置が施されたといわれている。

そして、19世紀に入ると吸血鬼が文学作品に取り入れられ、その存在は現代にも語り継がれる形となった。

上記を踏まえて、歴史的に語り継がれている吸血鬼の記録をいくつか紹介してみたいと思う。

フィリピンの吸血鬼伝説:マナナンガル

フィリピンに属するシキホル島で昔から伝えられている吸血鬼。

夜になると下半身を分離させ、翼の生えた上半身のみで飛行し、生き物の血を吸いに行くのだとか。

現在では、様々な目撃談がインターネットで囁かれており、画像なども出回っているため、巷では都市伝説化している存在だ。

ちなみに、その容姿は絶世の美女で、世の男性を虜にしてきたともいわれている。

記録に残る吸血鬼事件:アーノルド・パウロ

元兵士のアーノルド・パウロ(Arnold Paole)は、18世紀にセルビアで伝説的な吸血鬼として有名になった人物だ。

彼が亡くなった後、村では次々と住人たちが謎の死を遂げたため、村人たちはパウロが吸血鬼だと疑い、墓を掘り起こした。そこで発見された遺体は腐敗が進んでおらず、新鮮な血が見られたため、これが彼が吸血鬼だという証拠になったのだとか。

村人たちはこの事態に対して、彼の遺体に杭を打ち込み、遺体を焼却した。この事件は1730年代にオーストリア帝国で報告され、ヨーロッパ全土に「吸血鬼パニック」を引き起こすきっかけとなった。

上記のアーノルド・パウロの事件は、その後の吸血鬼伝説などに大きな影響を与えたといわれている。

現代社会を震撼させた衝撃の吸血鬼事件

ここまで過去の吸血鬼事件を遡ってきたが、現在でも吸血鬼の出没情報が出回っていることをご存知だろうか?

2004年、ルーマニアのトランシルバニア地域の近くにある小さな村「マロテヌデッスス」にて、吸血鬼騒動が起きた。

ルーマニア:トランシルバニア地方のアプセニ山脈

2004年に男性ペトレ・トマという男が亡くなった後、彼の家族は奇妙な現象に悩まされ始めた。家の中で物が勝手に動く、異常な音が聞こえるなどの不可解な現象が続き、さらに家族の何人かが身体的な不調を訴え始めた。

特に胸の痛みがひどく、「心臓を食べられた」と語る者もいたのだとか。この異常事態により、トマが吸血鬼として蘇ったのではないかという疑念が広がったのだ。

村人たちは吸血鬼の伝説に基づき、トマが蘇って家族に危害を加えていると信じ、彼の墓を掘り起こした。しかし、そこで村人たちは衝撃の光景を目にした。なんと遺体は埋葬時とは異なり、横向きに倒れており、髭が伸びていたといわれている。この状況が、彼が吸血鬼であるという疑惑を強めたのだ。

その後、村人たちは彼が吸血鬼として復活することを恐れ、鎌を使ってトマの心臓を取り出し、十字路で心臓を焼いた。また、この焼かれた灰は水に混ぜられ、家族はその水を飲むことで吸血鬼の呪いを解こうとしたといわれている。

このような吸血鬼信仰は、ルーマニアやバルカン半島の一部地域に深く根付いているのだ。

ペトレトマ吸血鬼事件のその後

この儀式を行った後、家族の健康は回復し、家の中の異常な現象も収まったといわれている。

しかし、この行為は当時の法律に違反していたため、事件に関与した家族は「死者の安寧を乱した」として逮捕され、裁判にかけられた。

この事件は、ルーマニアの一部地域で吸血鬼の伝説が今でも強く信じられていることを国際社会に示す出来事となり、メディアでも広く報道されたのだ。

当時、海外の報道番組が真相を確かめるべくこの地を訪れたが、村人は何故かその事件に触れるのを嫌がっていたといわれている。

この事件は、科学的に説明することが難しい不思議な出来事と、長年伝承されてきた文化的信仰が交差し、結果的に世間に広まるきっかけとなったのだ。

世界中で発見される吸血鬼らしき遺体

ペトレ・トマの吸血鬼事件以外にも世界にはたくさんの記録が残っており、棺桶に入った死者が吸血鬼であるか否かを埋葬状態から確認する方法なども伝えられている。

埋葬の仕方は地域によって異なるが、例えばチェコのプラハ近郊で発見された吸血鬼と思われる遺体は、通常と異なり左側を下にして北向きに埋められていた。

他の遺体は全て右側を下にして南向きだったため、この不自然な状態が疑問を呼んだ。さらに、罪人への処罰として埋葬方法が変わることもあるが、死者への処罰としては異例なケースだ。

この墓地は推定で4000年前のもので、もしこの遺体が吸血鬼だったとしたら、吸血鬼が古代から存在し、人々の生活に影響を与えていたことになる。

吸血鬼用の埋葬?世にも奇妙な遺体

他の事例とはしては、頭蓋骨や胴体の上に重たい石を置いて埋められた遺体なども見つかっている。これは吸血鬼の復活を防ぐためなのだとか。

一説によれば、石で心臓を破壊することで蘇生を防ごうとしたとも考えられている。これは、心臓に杭を打つよりも古い時代の手法だとされているが、先ほどのペトレトマの件では心臓を燃やして復活を阻止していたため、これは時代や地域によってもやり方が異なるといえる。

近年では、ポーランドでも吸血鬼と思われる遺骨が発見されているが、中には口に石を入れられたものや、首と体が分離したものも出てきている。

これは吸血鬼が己の肉と服を食べて復活する特性を防ぐためだとされている。

もし仮に吸血鬼のようなオカルト話を抜きにしても、これらの埋葬の仕方は明らかに不自然であることは明白だ。

吸血鬼の死体は腐らない?

吸血鬼の死体は腐らない、夜な夜な棺桶から出て生きた人間の血を吸うというイメージは、既に人々の頭の中に根付いているだろう。

しかし、吸血鬼の遺体がどのような状態で棺桶に戻るかについては、いくつかの興味深い事例が報告されている。

ルーマニア・ブカレストの法医学研究所の報告によると、吸血鬼と疑われる遺体が発見され、その遺体は死後に異常な膨張が見られたのだとか。

膨張する遺体は体内にガスが溜まるため、血を吸っていた可能性があると考えられた。また、遺体が破裂することもあり、その衝撃で棺桶の中で手足や体の位置が変わることがあるという。

この現象により、吸血鬼が棺桶から出て動き回ったという伝説が生まれた可能性があるのだ。

ただし、破裂や膨張といった現象は科学的に説明できるものではあるが、それが直接「血を吸っていた証拠」かどうかは依然として謎のままだ。このような現象が吸血鬼伝説に結びついていったと考えられるが、真相は未だに解明されていない。

吸血鬼が実在するのか:まとめ

日本ではおとぎ話のように語られてきた吸血鬼伝説だが、世界ではその目撃談が今なお報告されている。

吸血鬼を今でも本気で恐れている人々も数多く存在し、もはやオカルト話で片付けられないのも事実だ。

最近はそれらが科学的に解明されつつあるが、果たして全ての謎が解ける日は来るのだろうか。

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